- 2011年3月22日 14:11
泥を含んだ海水にのまれた家の中から、リポビタンDを見つけ出し、
それをなんども、なんどもタオルで拭いて
僕たちに飲んでもらおうとしたおばあちゃん。
おばあちゃんの背後には、畳やタンスまで海水に浸かってしまった家と、
粗大ゴミとなってしまった家財道具の山。
ボランティアは基本スタンスとして受け取りません。
でもその懸命にリポDの瓶を拭いている姿を見てしまうと
頂かないほうが悪い気がしてきて・・・。
僕の顔にも躊躇の色がでていたかもしれない。
「飲んでちょうだい」
「いえ、気持ちだけ」
「わかるけど、飲んでちょうだいよ」
「ありがとう、それ食料ない人にあげて」
そんな押し問答をしばらくして、逃げるように後にしてしまった。
おばあちゃん、傷ついてないといいな。
エアー リポD 1年分
ちゃんともらったこと、伝わってるといいな。
ボランティアへの参加というのはいままで特別のことのように感じていたのです。
災害があるたびに「自分も役に立ちたい」という気持ちがありながら、
なんとなくその見えないハードルの高さに躊躇して、しばらくの間モヤモヤを感じながら、
やがて忘れていく。
でも今回はいくつかのことが僕をボランティアへ向かわせました。
ひとつには宮城という土地は僕が小学生の時期を過ごした土地で、ニュースで聞く地名は行ったことがあったり、耳になじみのある場所ばかり。両親もここに住んでいるので、他人事ではないのです。
そして2つ目。今回宮城へ行ったのは、「食料が・・・」という、買い物に行くことの出来ない両親からのSOS(病気のために長時間スーパーの行列に並ぶことが不可能なのだ)。「分かちあい」とか言っておきながら、この個人的な理由で富山のスーパーでたくさんのカップ麺やら缶詰を買い込み、いまとっても貴重なガソリンを使い、物資輸送が最優先されるべき公道を使って被災地へ向かったという後ろめたさを、何らかの手段で払拭したいという思いがあった。
3つ目。これが一番大切ですが、「分かちあい」を考えたときに労働力も分かちあうべきものと思えたからです。
- 義援金を寄付することと変わらない。
- 節電する人と変わらない
- 心から応援のメッセージを届けている人と変わらない
ボランティアは動ける人をスムーズに動けるように組織したもの。特別なことではないと思えたからです。
表現の仕方の違いだけがある、と。
特別なとこじゃないから、特別に思わないで行ってみようと思ったのです。
ま、実のところこれらの理由は後付で、ホントのところは自分にもよくわからない。
ただただ、「動けるときに動ける場所にいた」というのが正解かもしれません。
僕は私利私欲の塊です。
町内会のドブ掃除だって、草むしりだって、
めんどくせ~
と思いながらやってます。
さらに、たった1日ボランティアに参加して何か特別なことをした気分になっているのは
やっぱり、ちっちゃい人間です。
そのちっちゃさもも、ちゃんと受け入れておこうと思います。
逆説的ですが、
奪い合う姿を見ることで、分かちあうことをよりダイレクトに学ぶことが出来るのかもしれません。
だから、買占めが行われている現状を見ることも含めて
僕たちは、いま分かちあうことを学んでいます。
極限の状態でであれば、生きるか死ぬかの状態であれば、
生命力のあるほうが生き残りに勝って、命を次にリレーする。
これは仕方ない。
でもそんな状況でない限り、
奪う or 分かつ
僕らはどちらかを選択することができます。
あんなに困難な状況にあるおばあちゃんも、
分かつことを止めませんでした。
僕は分かつを選んだ人としか、友達になれない。
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