野鳥のさえずりの合間に、時折思い出したようにししおどしの音が響く。みちのく庵は湯治場の面影が残る鎌先温泉から一軒だけ外れ、自然豊かな高台に静かに佇む。「一組一組に最高のおもてなしを」との思いから、あえて客室たった9室の平屋建て。四季を味あわせる懐石料理に定評がある口コミの宿。戸を入ると商売っ気を感じさせる帳場やロビーはなく、代わりに囲炉裏の談話スペースがある。これこそが女将が意図したみちのく庵の姿勢。旅館というよりは知人の別荘に招待された様な気分。接客に関しても、過ぎず、素朴でゆったりした感じがうれしい。鎌先温泉は東北の薬湯と呼ばれ、神経痛などに効果がある。みちのく庵は独自の源泉をもっていて、肌触りのやわらかいお湯が掛け流しされている。窓のからの山並の眺望もすばらしい。桧風呂では寝湯ができる。桧風呂と石風呂は時間により男女が入替わる。桧風呂、石風呂のどちらにも景色のいい露天風呂が備わる。特に石風呂の露天風呂からは蔵王連峰が見渡せる。また6月中旬から8月にかけては眼下にアジサイが道を埋め尽くす。割烹旅館の看板どおり、その日その日の最高の素材が美しく器に盛られる。びっくりするものがでてくるわけではなく、愛用の器を手にしたような安堵感がある懐石料理だ。とりわけ季節感が豊かな郷土の味を約90分以上かけてゆっくり楽しむ。程よさを知る料理に自然と手おあわせたくなる。山のものはもちろん塩釜漁港も近いという地の利があるから海の幸も楽しめる。本格懐石であるが、それを頂くこちらはあまり肩肘張らなくていいのがみちの庵流だ。女将さん曰く「膝をくずしてお喋りをしながら、ゆっくり味わってください」とのこと。この懐の深さが熟年夫婦や女性客に喜ばれているのでしょう。食後のデザートは健康的に砂糖を使わない抹茶羊羹。あんこと合わせていただく。一部屋一部屋異なる部屋は新建材を一切使わず秋田杉、ヒノキ、青森ヒバを使った大工さんの手仕事。窓を開け放つと四季を通じ窓の外には桜、つつじ、あじさい、萩が目を楽しませる。高台のロケーションゆえ庭の植木から遠くの山までが続き絵になって見渡せる。部屋の静けさの秘密はそのロケーションに加え、各部屋が”離れ”と言っては大げさだが、隣の部屋とは壁同士で接することはなく、庭側から見ると独立した家屋になっている。夕刻には庭にたいまつが灯され、幻想的。取材当日は、向の山に霧が下がっており、山水画のような風情でした。
夜明け前から朝風呂へ。内湯に比べて少しぬるめの露天風呂は私一人だったので、寝湯の体勢(ちょっと無理があるが)をとると長湯になるのは自然の成り行き。やがてモノトーンだった空は青を帯び、山肌は朝日に照らされ緑が生き返る。早起きは3文の得というが、今日の早起きは換金不可能なくらいの得だった。お湯の中には茶色い湯の花が微かに漂う。ふんだんはお湯の感触などには無頓着な私だが、長湯のおかげか今日ばかりは温泉番組のように手を静かに泳がせてみた。湯がやわらかい。古くからの湯治場で特に切り傷に効能があるというが、その所為か湯上りの肌はすべすべ。うれしくて手の甲やら指同士を何度もなで合わせてみる。男としては連れ合いにはあまり見せたくない仕草だ。部屋に戻るとと”ホーホケキョ”の声が聞こえていてカーテンを開けると朝露にぬれた木々。のんびりした朝だ。気ぜわしさとは一切無縁の滞在だった。非日常にあるのではなく日常の延長にほしくなる宿。奇を衒わない安心感、程よさ。この満足感は宿を後にするころになってやたらとじわじわ沁みてくる。こんなに満ち足りた気持ちなのがすべて宿のおかげだと褒めるのは出来すぎた話だが最大の功労者であることは間違いない。見かけの派手さに頼らないその実の確かさ、程よさに惹かれるお客さんに支持され、口コミを頼りに20年歴史を重ねる。豊な自然、少ない客室数、そしておいしい料理。今でこそ人気宿の条件みたいな感じだが、20年前東北ではこの宿のスタイルは始めてだったそうです。 時代に流されないもてなしの気持ちが脈々と続いていることに共感します。料理はもちろんおいしい、景色もいい、風呂もいい。しかし、この宿の最大の安らぎは女将さんかもしれない。 お客さん慣れしすぎてなく自然体なので、こちらもほっとする。取材中も時を忘れて女将さんと楽しくお喋りに耽ってしまいました。 ここはお客さんの別荘だから、なじみのお客さんには「お帰りなさい」 と声をかけるのだそうだ。静かな自然と、心の贅沢。日常生活にこのちょっとした贅沢を組み入れてみたら、豊な気持ちで日々を過ごせるのではないだろうか。