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山ふところの宿みやま
事務局長 丹羽 様
あっという間に3年の月日が流れました。
今日のみやま周辺は、あの日と同じ雪が舞い、寒い一日でした。
今日だけは朝から特集の報道が続いていますが、
時々、宮城の沿岸部に足を運んでいるひとりとしては、
もっともっと報道し続けてくれることを願うものです。
なんにも変って(復興して)いません。問題だらけのようです。
他人事になっている日本人がほとんどのような気がします。
あの日から一か月は宿業どころではありませんでしたが、
GWあたりからは「支援」「見舞い」を兼ねた旅が動き出しました。
でも、沿岸部の比ではないものの、それなりに建物や温泉に被害が出て、
その修繕や今後の営業のことを思うと、正直一瞬とはいえ、「店じまい」を
考えてしまう日々が続きました。
もんもんとしていた矢先に声をかけてくれたのが丹羽さんでした。
その頃、私が「鳴子の米プロジェクト」という活動を展開中で、食べ手と作り手との
信頼関係を築き上げる中で、農家が米を作り続けるという考え方にヒントを得て、
この「種」制度を考え出してくれたのが丹羽さんでした。
すぐに実現へむけて動き出してくれました。
実際、これまでご利用いただい方、まだお越しいただいていない方、から思いもかけない
「支援」をいただきました。「必ず泊まりに行くよ」のメッセージには本当に頭が下がりました。
まさにお客様と宿屋との信頼関係のカタチでした。宿屋を続ける新たな責任が生まれました。
この制度で当館にお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
仕事などの関係でまだご利用されてない方々につきましては、
まずはひと声入れてください。できる範囲で対応させてもらいますので。
そして丹羽さん、改めて御礼申し上げます。この制度の精神はこれからの観光振興に
対しても絶対意味があると思います(当館が支援をいただいたからだけではなく)。
まずは節目の日にあたり、一言ご挨拶まで。
宮城・鳴子
山ふところの宿みやま 板垣幸寿