何年ぶりなんだろうか、数えはしないけどこの集落はちっとも変わってない。前回訪れた時から、いやもっともっと何十年も前から時を進めるのをやめてしまったようだ。そののどかさは、飛騨高山の優美な椅子が並ぶ館内に足を踏み入れてもどことなく感じることができる。

宿の扉を開けたのがチェックイン開始後間もなくの14:00頃。当然一番乗りだろう。
ほかに客の気配のない凛としたロビーはこれでもかとお洒落感振りかざしてきます。もう3度目になるからそんな雰囲気に気圧されることなく、わりとリラックスした気分でこの雰囲気を楽しむことができた。

 

到着するとバールームに案内された。
ウェルカムドリンクをいただきながら、館内の説明を聞く。

印象に残っているのは、スタッフの女性二人が親切で親しみやすく、こちらも肩ひじ張る必要がぜんぜんなかったことだ。これはありがたい。

 

ここは温泉宿というよりはホテルみたいなとこで、エレベーターのところまではスタッフの方に伴われたがそこからは自分たちで部屋を目指す。

 

ポテチではありませんよ。アメニティーまでしゃれてます。

 

チェックインは僕らが一番乗りのようなので、宿の方にお願いしてお風呂を撮らせていただいた。こちらは女湯。

 

手前のほうは寝湯だ。曲線が気持ちよさそう!
僕はぬる目の湯で寝湯が好物なので、女湯うらやましい。

 

その奥には露天風呂。格子に囲まれたスクエアな印象。一角から色づいた紅葉が見えていて美しい。

 

そしてゆっくり男湯に入った。こういうお風呂に入ると木の風呂は無敵だと思ってしまう。露天風呂は無かったような気がするがまったく問題ない。

 

脱衣所も広々で清潔感も高いレベルで保たれている。

 

さてこのあと食事の時間までじっくりこの雰囲気を味わうことにした。

 

容赦のなく洒落感を振りかざしてくる。

家を和モダンにリフォームしたい方はここ訪れておいて損はないと思いう。

 

夕餉の刻の食事処

 

僕はグラスワイン。グラスがいかしてます。

 

連れのビール。陶器ならではの細かい泡だったが撮るのにもたついていたら泡が沈下してしまった。スマン。

 

大まかに左からハタハタの田楽、あんぽがきとクリームチーズなど。手羽はじっくり煮込まれてるようで、あまり噛まないでも飲み込めてしまうほど。山椒の実がいいアクセントに。連れはアカカブの千切り酢漬けが気に入ったようだ

 

海が近いからでしょうか、お造りちゃんとおいしい。

 

シャケの焼きびたし
出汁の風味にニンマリ。里芋の甘さ、一つ一つ丁寧に作られてるのを感じる。さらにさかのぼって素材の野菜自体が丁寧に育てられたんじゃないかと思い巡らす。

 

ゴロゴロっと食感まで楽しめる野菜たち。このさらの外側にまぶしてある様々な香辛料がとてもいい。

 

雰囲気良過ぎだと緊張して味がよくわからなくなってしまうことがあるが、スタッフの出入りが多くないことが幸いしてか、アットホームな感じがして、リラックスしながらいただくことができた。

料理は以前に泊まった時よりも和のほうに重心が移ったような気がする。
平日であったためか、お客さん50代くらいの多い印象だったので和食の方が喜ばれるのかな。
連れは以前の和をベースにした創作フレンチのようなのを期待していた用だが、もちろん大満足であったことに変わりはない。

 

ちょっと温泉街、というか集落を歩いてみることにした。

 

湯田川温泉には共同浴場が2箇所あるようだ。
湯どの庵のすぐ前の風格ある「正面湯」の入り口から中の様子を伺っていると、地元のおっちゃんが、
「のぞいて見る?いま誰も居ないはずだよ。」
と声を掛けてくれた。優しい!

で、

男湯の戸を開けるとすぐ目の前で湯に浸かるおじいさんのうしろ姿が見えて、そっと戸を閉めた(笑)

 

朝食も夕食と同じ食事処で。宿泊レポつくるまで1年も経ってしまったせいか、お米がおいしかったこと以外にあまり印象に残っておらず笑

 

チェックアウトまでできる限りパブリックスペースで丸出しのシャレオツ感に浸るのでした。

 

 

何度も口をついた言葉

滞在中何度も僕らの口をついた言葉があった。

「これでこの金額(1万円代中頃)なんて、ありえないよね。」

恒例の12月の旅行。近年は家から2~3時間ほどの奥飛騨が多かったけど、今回は東北へ足を延ばすことにした。一泊目は東鳴子温泉の旅館大沼で湯治文化に浸るので、2泊目はお洒落な宿を選んでみたのだ。

湯田川温泉には湯どの庵のほかに九兵衛旅館という興味のある宿があったが、湯どの庵に前回訪れたときからだいぶ時間が経っていたので、宿に何か変化があるか、もしくは自分たちの感じ方に何か変化があるのかを確かめたくての選択だ。

かなり久しぶりの湯どの庵。実はどんな風に感じるのかちょっと心配だったのだ。
山形に「奇跡のような宿がある」とネットで知ったのはもう20年近く前。温泉宿をめぐるのが趣味でありながら経済的にすぐに泊まりに行く余裕もなく、いつしか憧れのような気持ちが芽生えてしまっていたのだ。その後数度訪れているが、行くたびに飛騨の椅子が点在する洒落た館内にうっとりしながら帰ってきたものだ。
最後に訪れてからもう10年ほど経つ。宿は変わったのか、自分たちは変ったのか・・・。

改めて予約しようと料金を見るとこの時期の平日は1万円台の中頃で泊まれる。明らかに安い。安すぎる。10年の間に僕らはいろいろな宿を訪れた。この料金の2倍近くを払うことも無くはなかった。その経験を踏まえて改めて湯どの庵を体感したとき、馬脚が表れて憧れは泡と消えてしまうのでは・・・。そんなちょっと奇妙な心持でした。

 

この集落はなにも変わっていない。懐かしさを呼び起こしてくれる。そして不思議だ。10件ほどの宿があるらしいが、眠ったような町のは健在。温泉街なのだから商売っ気があって普通だけど、ここはそれ以上に生活の場の空気が漂っている。

はじめて訪れたときはかなりドキドキし、その内部の様子に気圧されたがあのころを懐かしみながら庵の戸をあけた。

「おー素晴らしい。」

あの料金であの雰囲気を維持しているのがなんとも不思議だった。
この料金を実現しているのは接客面で大胆に人件費を抑えたことだと思う。そしてこの傾向は人見知り名自分たちにとってはむしろ歓迎だ。

湯どの庵が例えば、箱根などの大温泉地にあったとしよう。すると
「ありがちだよね、こういう宿。」
となってあまり心に残ることがないんじゃないかと思う。
和モダンの雰囲気は抜群に良く、そこから町へ一歩出ると、まさに時が止まったような集落。温泉地というよりは温泉がある生活の場というギャップ。
断言する。湯どの庵に泊まった時に、ただのデザイナーズ旅館にとどまらないのはこの集落というバックグラウンドがあるからに他ならない。

宿を後にして、あのセンス溢れる空間と、のどかな集落、声を掛けてくれたおっちゃんの素朴さが心に螺旋を描き、不思議な輪郭を残していたのだ。

 

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