長野 白骨温泉 笹屋
お部屋 一般客室
ウグイスの呼び合う声が響き渡る山間いに、笹屋は白樺林に隠される様に佇んでいる。木の温もり豊な民芸調の館内にはうすあかりが灯され、 昔ながらの静かな時間だけが流れている。
この地に生まれ育った女将さんが目指したのは、 自分の記憶の中にある昔の白骨をこの宿に息づかせることであった。写真は民芸調の特別室で、窓からは白樺林そしてその向こうに山並が見える。ちなみに降旗設計による設計。
体全体が湯に隠れるほどの白濁の湯は、深いところは少し青みがかって神秘的。肌触りは米のとぎ汁に牛乳を少し混ぜたような感じ。天気のよい日には大きな窓が全開となり屋根付きの露天風呂のような状態で爽やかな風が吹き抜ける。
貸切風呂は離れにある。 空いていれば「貸切」の札をかけて渡り廊下を登る。この景色、このお湯。自然の中にとけていってしまいそうだ。
紅とろサーモン、ふき味噌、あまごの稚魚の甘露煮、ヤマモモ、蜂の子の甘露煮はナッツのようにに香ばしくておいおしい。
馬刺しはしょうが醤油で頂く。花をあしらって盛られた肉はやわらかく上品な味。くせになりそう。喉を越していく際、脂の旨みが鼻のほうへ軽く挨拶していく。これは地酒が必要だろう。
岩魚の笹煮は岩魚の腹に自家製3年味噌を詰め、笹で巻いて3時間蒸す。笹にかけられた紐を解きながら、早速香ってくるいい香。笹にくるまれて旨みの出口が絶たれ故のうまさの凝縮。これはご飯だ。ご飯お代わりだと喜悦に。
この土地で採れたそば粉で練った蕎麦がきも印象深い。
朝食に、「温泉がゆと普通のごはんどちらがよろしいですか?」と聞かれ、迷わずかゆを選ぶ。するすると喉を通り胃に優しい。膳の上を眺めて薬味によさそうなものをスカウトしてかゆの中へ。自分なりのブレンドがうまくいって上機嫌で食べた。
山の斜面を登ったところに離れができていた。寛永年間の頃の茅葺の古民家を再生移築したのだそうだ。渡り廊下の梁はノミの削り後が無骨で力強い。カンナがない時代なのかな。手がけたのはやはり降旗設計。
離れには客室が3室。こんなベッドの部屋もある。掘りごたつもうれしい。高台からの景色もすばらしい。
さわやかに晴れた5月。
白骨温泉までの道のり、渓流沿いの新緑のトンネルをくぐり、私の気分は静かに静かに高揚していた。ウグイスの呼び合う声が山に響き 渡るほど静かな土地。たまに通る車の音を除けば沢音と野鳥のさえずり意外なにも聞こえない。
笹屋はこの山道からさらに100mほど道をそれた袋小路に佇ん でいた。前述の道は以前に何度か通った事はあったが、この奥に宿がある事すら気づかなかった。いや正確に言うと笹屋のことは本などで見ていて以前から興味 を抱いていたが、それがこの白樺林の奥に潜んでいる宿と一致していなかった。宣伝活動をほとんど行った事がない知る人ぞ知る宿で、お客さんの半分以上はリ ピーター。私が訪れた時も連泊のお客さんがいらっしゃって、周囲の自然と対話しながらをゆっくり散歩していた。
宿を開いて18年。 この地に生まれ育った女将さんが目指したのは、 自分の記憶の中にある昔の白骨をこの宿に息づかせることであった。そういえば江戸時代の民家の柱、囲炉裏端で頂くイワナや山菜、 きのこなどの山の料理などどれもこれもノスタルジーがあふれいているではないか。この土地ならではの採りたてのものを存分に味わって頂こうと、夕食の膳に のぼる山菜を採りに地元のおじいちゃんたちとの山歩きが女将の日課となっている。特に印象深かったのは、この土地で採れたそば粉でねったそばがき。 蕎麦をおじいちゃんが石臼で挽ひいたものが、料理の直前にこねられ、 目の前に供された瞬間からそばのいい香りが立ち上る。 山芋をすりつぶしたようなまったりとした食感が舌全体から伝わってくる。自然と歩調を合わせていた頃の食べ物がこんなに豊な味わいをするのはちょっとした 驚き。
木の暖かさ、光のやさしさ、木々の緑、そして宿の方々の物腰に自分のペース を取り戻せる。初めて来たのに懐かしさを感じるのは、自分が生まれる以前から脈々と受継がれる”生命の記憶”がノスタルジーに浸っているにちがいない。宿 を後にして数日経ちこの記事を書きながら郷愁のようなものがわきあがっているのを感じていた。この部屋数9室の素晴らしい宿が、人知れず息づいていたのが この上なくうれしい。